第15回定期演奏会


プログラムノート


岩崎 一

ここは、都内のある居酒屋。GPCの団員のアキラは、大学時代のクラスメイトでOLのミキを演奏会に誘っている。
「29日に合唱団の演奏会があるんだけど、来てくれない? イタリアの曲ばかりをやるんた。これがそのチラシ。」
はっきり言ってミキは音楽に疎い。でも、アキラはいつも声をかけるのだ。ミキがチラシに目を落とす。
「ねえ、サンタルチアとかオーソレーミオとかはやらないの? そっかー。それと何、この教会音楽って。アキラはクリスチャンでもないのに……。」
「違う違う。そもそもヨーロッパの音楽は教会音楽を中心に発展してきてて、敬虔な信仰心を動機として、まじめに作られているから、音楽性の高いものが多いんだ。僕らはその音楽の純粋さに惹かれて歌うってわけ。」
コンサルタントという職業柄もあって、少々理屈っぽいのはアキラの泣き所である。
「次の世俗風味は、どういう意味なの? 何か俗っぽい曲なわけ?」
「普通は世俗曲というんだけど、歌詞の内容にキリスト教の背景のないものや、当時の庶民が普段に歌っていたもののことなんだ。今度やるモンテベルディっていう、17世紀に活躍した人の曲の歌詞は、恋人の死を嘆く男の話なんだけど、はっきり言ってこいつは、おっぱいフェチ。いたんだね、ちゃんと昔から。え? なんでそんな変な顔して人のこと見るの?」
「ごめ~ん、すっかり遅くなっちゃった。 あれー、僕が最後じゃないんだ。」
少々息切れ気味に登場したのは、メーカーに勤めるシゲルである。合唱は少々詳しい。
「アキラのとこ、また演奏会やるの? どれどれ今度は何だー。 ははは、今年イタリア年だからイタリアの曲を集めたわけだ。ちょっと安直じゃない?」
「そんなぁ。 もちろんイタリア年も意識したけど、前々から国を絞った演奏会をやりたくて。 普通はまずドイツに行きがちじゃない。でも明治時代に最初にはいってきた西洋音楽がドイツの音楽だったでしょう。 そのせいで、西洋音楽は小難しくて堅苦しいもののようなイメージが日本人に定着してしまった部分も大きいと思うんだ。 でも、イタリアの音楽は民族性もあって奔放で自由闊達でしょ。だから、イタリアの曲を集めればお客さんにも心の底から音楽を楽しんでもらえると思ったわけ。」
「音楽のことになると、完全に語りに入っちゃうわね。」
ミキが辟易としてポツリ。
「でもさー。」
とシゲルは続けた。
「イタリアだって、昔から今の領土じゃなかったわけでしょ。植民地もあったし。取り上げる作曲家は数世紀にまたがっているけど、何を根拠にイタリア人って決めたの?」
「ドキッ。 そんなとこ、つっこまなくてもいいじゃない。 あえて言えば、イタリア民族の血が流れているかどうかってとこかな。そう、民族の血が基準。DNA鑑定もすんでるし、なぁーんてね。」
少々顔をひきつられながら、アキラは答えた。
「おーい、レイコ。こっちこっち。」
店に入って来るレイコを見つけたアキラは話をそらすチャンスとばかり、大声で呼び寄せた。
「やっぱり、私が最後だったわね。 ごめんねー。急に職員会議になっちゃって。 それにずいぶん長引いたし。」
レイコは中学の社会科教師。 放課後は音楽部の面倒を見ている。
「何の話してたの? あー、アキラ君とこの演奏会か。 ふむふむ。 あれっ、このダラピッコラって、知らないなぁ。」

「この人は20世紀の人で、『囚われ人』と『夜間飛行』というオペラが有名だよ。 小さい頃、当時のオーストリア政府に弾圧されたり、奥さんがユダヤ人だったんで、ムッソリーニ政権から逃れる生活をしたりで、結構苦労したらしいんだ。それに、イタリアって戦争に負けたでしょう。それで、戦前までの音楽的伝統を忌避するという文化的な流れに飲みこまれたしまった時期もあるらしいよ。」
と、説明したのは、アキラではなくシゲルの方であった。
レイコは続けた。
「ヴェルディのオペラの合唱曲って、マクベスはあそこ、ナブッコはあのあたりかなあ。 リゴレットは……。」
正解を連発するレイコに、アキラは次第に青ざめてくる。ミキはあくびをかみころしている。
「なんでそんなにわかるの? オペラ通だったっけ?」
「だって、それぞれのオペラの合唱で一番有名なところを順番に言っただけよ。」
と、いいつつレイコはしたり顔である。
「聴かせどころのオンパレードってわけだ。」
シゲルは笑った。
「お客さんも飽きないだろうし。発声は変えたりするの。たとえば、ベルカント唱法とかに…。」
アキラは待ってましたとばかりに答えた。
「GPCには独自のトーンがあって、それを大切にしているから、曲によって変えることはしない。そういう意味では、新しい挑戦なんだよ。ぼくら自身も楽しみにしてるんだ。ぜひとも、うちの声でヴェルディのオペラの合唱曲がどんな色彩になるかを堪能してほしいよね。」
「来年からね、」
と、レイコが切り出した。
「学校の音楽の時間に、シャープもフラットも教えなくなるって知ってた?」
「へー。でも、円周率も3で教えるんでしょ。時代の流れだね。仕方ないよ。」
シゲルはこう答えたが、レイコは意味もなく不安がっている。
「だって、音楽の先生も大変になるみたいよ。シャープやフラット教えなかったら、どうやって音楽を教えるのかしら。」
待ってましたとばかりに、アキラは答えた。
「その分、本当の音楽の楽しみ方を教えるんじゃないのかな。そう、さっきミキには言ったけど、29日の演奏会は、そんな演奏会になるはずだよ。 宗教曲は3つの時代にわたる祈りの比較ができるし、世俗曲は何百年超えても変わらないイタリア人の熱情のほとばしりが感じられるし、オペラは……。」
またも話が止まらなくなったアキラに、シゲルは口をはさんだ。
「わかった、わかった。行く方向で検討するから、話変えようよ。今日はもっと大事な話があるんだよ。」
「何々?」
少しだけ我に返ったアキラに向かって、シゲルは唐突に言った。
「僕とミキ、来年3月に結婚するんだ。」
「えーっ ! 」
アキラは、完全に固まった。しかし、この言葉だけは絞り出した。
「オ・メ・デ・ト・ウ。」
アキラの瞳に、急に涙があふれて、流れ落ちそうになった。
そのあとは、押し黙るアキラをよそに、なれそめや結婚準備の話で残る3人は盛り上がり、夜は静かに更けていった。

(お断り)
このお咄はフィクションであり、実在する人物、特にGPCの団員とはあまり関係はありません。悪しからず。