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プログラムノート


バッハと19世紀ロマン派の巨匠たち

 バッハ(1685−1750)モテット“主に向かいて新しい歌をうたえ”はあのモーツァルトを驚嘆しめた精緻な8声部対位法。第1コーラスが先導するフーガのテーマdie Kinder Zionは次々に弟2コーラスの各声部を巻き込みついには大きな頂点に達する。打ち鳴らされる太鼓のリズム、流麗な竪琴の響き!何世紀にも渡って培われてきたポリフォニーの集大成!その技術の極致を超えて、何と自由で息づく音楽!コラールの諦観を遮る切々たるアリアも精巧な対位法。感極まって呼応するLobetの左右のステレオ効果!そして4声部に力を結集して息もつかせぬフーガのフィナーレ。永遠に歌い果たすことが出来ないバッハ最高の音楽にGPCは四度の挑戦。それは5ヶ月後の“マタイ受難曲”への布石。

 その“マタイ”を約一世紀の眠りから呼び起こしてくれたのがメンデルスゾーン(1809 −1847)10歳!でその素晴らしさに気づき、20歳で指揮した彼もまた天才!バッハ復興の業績は後の世の私たちへ限りない貢献。ライプツィヒ・ゲバントハウスはじめヨーロッパ各地のオーケストラを発展させ、忘れ去られる音楽、新しい音楽,作曲家(シューベルトの遺作ハ調大交響曲初演他)を世に広め、自身も完璧な作曲技法、しなやかな旋律を駆使して数々の名曲を残した。Mitten wir im Leben sindは21歳の作。尊敬するバッハの影響濃い作品で、マタイのコラールの断片も聞こえる。

 同じく神童,歌曲の王シューベルト(1797−1828)も600曲もの歌曲、9曲の交響曲、無数の名曲を残し清貧の中31歳の短い生涯を閉じた大作曲家。ウイーン少年合唱団初代団員の彼は、ミサ、合唱曲を数多く残して…。本日は珠玉の2篇を。

R.シュトラウス(1864−1949)はワーグナーにのめり込み、<トリスタンとイゾルデ>の楽譜をむさぼり読んだのが17歳。敬愛するワーグナーの後継者として名作歌劇<バラの騎士>etc. を量産。作曲家として、指揮者として19世紀末?20世紀初頭の音楽界をマーラーと二分した実力者。(昨11月、GPC女声はチェコフィルとマーラー三番を共演し大好評!)彼の「音詩=交響詩」(Ton Dichtung)は管弦楽の妙技を駆使して、あらゆる情景、心理etc .を表現した独特な世界。Der Abend <夕べ>はいわば合唱というオーケストラによる「音詩」。ワーグナー譲りのスタイルでシラーの詩のギリシャ神話の世界を色彩豊かに彩っていく。天空を翔けるアポロン、夜の帳がおりる頃クリスタルの波は愛を微笑み、待ち受けるネレウス(海の精)…。そしていよいよ<トリスタン>の愛のモティーフが二人の愛の成就を演出…。シラーといえば「第九」の“歓喜に寄す”An die Freude”。ゲーテに並ぶ文豪の詩は幾多の作曲者に愛されて、シューベルトも歌曲50曲を。ブラームスも名作Nanieがあり、そして何と!全く趣の違うDer Abend を合唱に作曲。

 さてそのブラームス。言うまでのない天才は10歳でピアノリサイタル。そのころハンブルクを席巻したのがハンガリーからアメリカへの渡るため、滞在していた亡命者たちのハンガリーの音楽。そこにはジプシーの音楽も。少年ブラームスの記憶はいずれ<ハンガリア舞曲>、そしてZigeuner Lieder<ジプシーの歌>へと開花する。何と情熱的かつ快活な(同じジプシーでもカルメンは…)ジプシーの恋の世界!そして“いぶし銀”のブラームス音楽との融合。それはクララ・シューマンへの永遠のあこがれを託して…。



中島良史