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プログラムノート


ご挨拶

名誉顧問より

皆様本日は、ようこそお越しくださいました。

10年前の7月、サッポロビール株式会社のメセナとして産声を上げた小さな楽団が、実に多様な経験を重ねながら、本日ここにその成長の証を見せてくれようとしています。

この楽団を育ててきたもの、それは千年の歴史を持つヨーロッパの合唱音楽の数々であり、恵比寿麦酒記念館のアコースティックな響きであり、中島良史先生の全身全霊を注いだご指導であり、そして何より今日もここに集ってくださった聴衆の皆様の暖かいご支援でございました。

以前にも申し上げましたが、プロの合唱演奏団体が非常に少ない日本の音楽界にあって、常に上質な演奏が提供できる楽団は、公器としての責任の一端を担っています。そう言った意味で、ガーデンプレイスクワイヤの活動を支援するサッポロビールの責任もまた大きいと思いを新たに致しております。

本日最初の演目バッハのモテット「新しい歌を主に向かって歌え」は、第一回演奏会の演目でもありました。本日はまた、この十年絶えずご指導を賜りました中島良史先生の書き下ろし作を初演する栄誉にも預かっております。十年一昔と言いますが、これらの名曲を聴きながらその一昔を走り抜けてきたこの楽団の成長をお楽しみください。

次の十年もまたその社会的責任を果たしつつ、人々の心に安らぎを届けられますよう、引き続きご支援を賜りたく、心よりお願い申し上げます。

サッポロホールディングス株式会社名誉顧問
ガーデンプレイスクワイヤ顧問
岩間 辰志


団長より

本日は、お忙しい中ご来場いただき、ありがとうございます。

私たちはアマチュアの合唱団です。つまり歌うことで報酬をもらわず、他に職業を持っております。団員の多くは働き盛りの年齢にあるため、合唱を続けることは簡単なことではありません。歌うことで何か利益があるわけではないけれど、好きだから上手くなりたい、というある意味、とてもシンプルでかつ浮世離れした大人のファンタジーを追いかけて、いつのまにか10年の歳月が流れました。

アマチュアなら楽なのか、と問われれば、いいえ、と答えるしかありません。つねに、「まあ、このくらいでいいんじゃないの」という内なる声と戦い、それで生計をたてていないからこそ、高く掲げた目標に妥協はしない、というのは存外難しいものです。

その間、いつも暖かく、時には厳しく見守ってくださった皆様に、心よりお礼を申し上げます。どうぞ、今日の演奏をお楽しみくださいませ。

ガーデンプレイスクワイヤ 団長 中川 美季子


常任指揮者より

ところは麦酒記念館、時は毎週木曜の、夜9時をまわる頃、名曲鳴らしたその<喉>は、後に控える本日の、メインイヴェント待ち望む。そしていよいよその瞬間!琥珀の水に<喉>は鳴り、交わす笑顔は“ヱビス”顔…
 
かくして合唱と名麦酒に心満ち足りた数百回の木曜日を営んで、GPCは創立10年。忘れもしない丁度10年前の7月、団員公募に想定外!の応募者400名余の審査に嬉しい悲鳴を上げたあの時が、つい昨日のよう。まさに“光陰矢のごとし”の年月。その間メンバーの入れ替わりはアマチュア団体の常。創立時のメンバーはいま10人余を残すのみ。しかし創立来の団風=ビールをこよなく愛し、和気藹々たる=GPCスピリットは永遠に不変。

そして重ねた演奏会は数知れず。次から次へと膨大な数の名曲に浸りきった10年は音楽人としての僕にとって至福の時でありました。共に歩み、指揮者の僕を育んでくれたメンバー、熱心に聴いてくださった聴衆の皆様、そしてスポンサー!多大なご協賛と合唱創りに最適な空間を提供し続けて下さったサッポロビール株式会社にただひたすら感謝を申し上げたい。

ガーデンプレイスクワイヤ 常任指揮者 中島 良史


プログラムノート

J.S.Bach                    Singet dem Herrn ein neues Lied BWV225

今年はモーツァルト生誕250周年とのことである。1789年、ライプツィッヒを訪れたこのベテラン作曲家は、その半世紀以上も前に作曲されたモテット「新しい歌を主に向かって歌え」を聴き、狂喜して「これはなんだ?!」と叫び、写譜まで作ってもらったと言う。
天才は天才を知るのか。メンデルスゾーンが永らく忘れられていたマタイ受難曲を再発見し、演奏したのは、それよりさらに40年も後のことである。
J.S.バッハ作のモテット-5曲とも6曲とも言われているが-は、受難曲やオラトリオなどと違って、忘れ去られることなく、彼がカントル(音楽監督)を務めたライプツィッヒの聖トマス教会で歌い継がれてきた。「新しい歌を主に向かって…」はこの中で最初に作曲されたのではないようだが(1726-7年の貴族の誕生日祝賀の際に最初に演奏されたという説が有力)、モテットの中ではBWV(バッハ作品番号)で一番若いナンバーを与えられている。
わずか15分という短い演奏時間に、2重合唱、フーガ、8声合唱、コラールとアリアの対比、4声合唱と、バッハ合唱音楽の粋を集めた傑作だからであろうか。
全体は4つの部分から成る。第1部は「歌え」をモチーフとするプレリュードと、「シオンの子らはその王によって喜び躍れ。」をソプラノから順に歌いだすフーガで構成されている。第2部は、二つの合唱隊による対話だが、コラールを歌う第2合唱隊が「儚い人間を加護してくださる神への感謝」を表す会衆であるのに対し、アリアを歌う第1合唱隊はより自由に神への思いを表現している。第3部「神を賛美せよ」も二つの合唱隊が交互に歌うが、4拍子のホモフォニックな合唱は堅牢な建物のようである。そしてその最後には再び第1部の歓喜が戻ってきて、二つの合唱隊は一つになり、第4部「息のあるものはこぞって主を賛美せよ。」のバスから始まる怒涛のごとき4声フーガになだれ込むのである。

【ガーデンプレイスクワイヤとバッハ:モテット第1番】
私達の練習会場は、恵比寿ガーデンプレイスにある「恵比寿麦酒記念館」(サッポロビール本社地下)の「銅釜広場(ホール)」である。しばしば演奏会会場としても使用されるこのホールは石造りで天井が高いため、ヨーロッパの教会にも似た長い残響を得ることができる。
1996年7月18日、オーディションにより集まった50名が銅釜広場で最初に練習したのが、このモテットであった。同年10月の第一回定期演奏会でのメインも、1999年に初めて外部ホール(カザルスホール)で演奏した際の第1曲もこの曲であった。このように、ガーデンプレイスクワイヤにとって一番なじみの深いモテット「新しい歌を主に向かって…」は、本日で通算3回目の演奏となるが、今回は暗譜(当団ではめったに義務付けないのだが)をして、過去ベストの演奏を
目指す。そして、この10年で合唱団として進歩したことをお客様に感じていただければ、これ以上の喜びはない。

【酒井 洋】


Felix Mendelssohn                              Richte mich, Gott (Psalm 43)

今年話題のモーツァルトも短命だが、メンデルスゾーンも短命であった。
この曲は円熟期に入る34歳の作品。
3つの詩篇op.78は3曲から構成されるが、本日は第2曲のみ演奏する。
簡潔な3つの部分によって構成され、歌詞と音楽が見事に合致している。まず、重々しい男声ユニゾンに女声4声がホモフォニックに美しく応え、混声8声で神の擁護と救出を切々と求める。次の3/8の部分では神の祭壇へ行進を歌う。こちらでも男声ユニゾンが先導する。最後の部分では神への溢れんばかりの喜びを決然とオルガンのような重厚な響きをもって曲を結んでいる。
 GPCより・・ユニゾンと合唱のそれぞれの美しさがたまらないのだが、このユニゾンが、なかなか決まらない。今日はどうだろうか・・?

【齋藤 恵】


Johannes Brahms                               Zwei Motetten Op.74

ブラームスが数多くの合唱曲を書いたことを知る人は悲しいほどに少ない。ブラームスの全作品のおよそ半分以上は声楽曲であり中でも合唱曲はハンブルク時代の若い頃から合唱とは縁の深かったブラームスならではの作品群である。その数多い合唱作品の中でも無伴奏合唱作品こそ地味ではあるがブラームスの真骨頂とも言えるもので、底光りするような珠玉の作品の数々となっている。
この作品74のモテットの他にブラームスは作品29、作品110と全部で3つのモテットを書いており、それらは全て無伴奏混声合唱のための作品である。これら3つのモテットの中ではこの作品74のモテットが最もよく知られておりまた最も規模の大きな作品となっている。
モテットは言うまでもなく伝統的な宗教音楽であるが、このモテットには何よりもシュッツ、バッハらに続く北ドイツ・プロテスタント音楽の正統的な継承者としてのブラームスの姿が垣間見える。
さてこの2曲からなるモテットは着想年代に10年以上の開きがあり第1曲の方が後になるが2曲ともブラームス44才の夏にお気に入りの避暑地、南オーストリアのペルチャッハで完成された。ともに伝統的なコラール旋律が用いられ、第1曲は4~6部合唱の編成をとり4つの楽章で構成されている。
第2曲は4部合唱でコラール変奏曲の形をとっている。とりわけ第1曲冒頭の力強い問いかけ「なにゆえ Warum?」はその後三度繰り返されるが特に感銘深いものがある。

【日本ブラームス協会  佐藤元哉】


Yoshifumi Nakajima                       Gloria della Mozzarella Mozartiana

Gloria della Mozzarella Mozartiana について

 さてこのたび団から10年のご褒美に曲を書けとのお達し。しかし偉大な大作曲家に肩を並べて“ミサ”を書く等という大それた事は到底出来ず、ついにはMozart氏250年にあやかり、氏のお力を借りることとした。氏の「器楽」の名曲から珠玉の旋律をmozzatura(切り離すこと)して20片余を拝借。どれもそのままGloriaの詞がピッタリはまる!氏の音楽はもとより神に、天国につながっていたのだ。

 しかし旋律・和声そのまま使っては些か畏れ多い。そこで少しJazzyでGPCの技を発揮させるものにした。何やら、美味しそう!なタイトルはMozart氏(僕も)の大好きなダジャレ(wortspiel)。
しかしこのような仕業(しわざ)が神の怒りを買い本番でvoce Mozza dalla paura(恐怖のあまり、出なくなった声)にならなきゃ良いが。
 指揮者は越沢滋さん。創立メンバーで当初から音楽指導に辣腕を発揮しGPCと僕を今まで大いに支えてくださった最重要人物。彼に神の祟りをなすりつけ、僕はちゃっかり会場から聴かせて頂こうってわけ。会場の皆さまもモッツお楽しみあれ!
(Moc=チェコ語でたくさんの意)

中島 良史


Aaron Copland                                        Four Motets

 1921年秋、第一次世界大戦の戦禍も癒えた芸術の都パリに、青年コープランドは立っていた。雑貨商を営む父は息子が音楽の道を志すことに賛成しなかったため留学費用の工面も苦労したのだが、彼の胸は素晴らしき音楽との出会いへの期待に高鳴っていた。
このパリでコープランドが師と仰いだのはナディア・ブーランジェだった。その作曲家としての才能を真に愛した妹リリの夭折から3年。音楽教育者としてのナディアの名は、遠くニューヨークにも聞こえてきていた。彼女の指導の下で音楽の勉強に励んだ3年間は、コープランドにとって本当に充実した毎日だった。厳しくも暖かく、そして完璧な理論に基づいたナディアの教え、つかの間の休みを利用しての美術館や劇場巡り、イギリス、ドイツ、イタリアなどへの旅行、そしてナディアを通じて接する作曲家達との出会い..。ナディアの父親代わりだったフォーレやミヨー、ストラヴィンスキー(若きコープランドにとって『ヒーロー』だった)らと直接交流を持ったことが、多感な年代の彼に与えた影響がどんなに大きかったことか。1924年に帰国するまで、それはまさに夢のような日々だったのだ。
 帰国後コープランドはナディアの教えを仲間と本にまとめ、全米に広めることに力を注ぐ。後に「アメリカのどの都市にもナディアの教え子がいる」と言われるまでになったことは、現在のアメリカ音楽の土壌になっているだろう。一方彼自身はその後、「アメリカ的な音楽」に自らの音楽を模索していく。ジャズとの融合、民族的な音楽の収集。そしてそこから代表的な曲の数々が生み出されていくのだが、それはまたのちの話...。
 コープランドがパリ留学時代に作曲し、師ナディアが愛し折に触れ演奏した「4つのモテット」。1つ1つの曲が全く違ったスタイルを持ちながらそれぞれとても魅力的で、あたかもコープランドの若さと意欲が溢れるようなこの佳曲を、20世紀のアカペラ作品にこだわりを持ってきた我々GPCならではの演奏で、今日はお届けしたい。

【成田拓也】


Zoltán Kodály                                           Missa Brevis

今から1500年以上も前、東ヨーロッパに攻め入った中央アジアの遊牧民族がいた。フン族である。フン族を率いたアッチラ大王は、ドナウ川沿いのパンノニア(現在のハンガリー)に本拠を置いた。「フン族の土地=Hun-gary」、これが「ハンガリー」の語源と言われる。ハンガリーではその後、幾度も支配民族が交代することになる。13世紀にはチンギスハンに征服され、16世紀には国土の3分の2をオスマン帝国に、残りをオーストリアに支配されるなど、この地は常に東西の勢力争いの場となった。これらのことが音楽にも影響を与えたであろうことは想像に難くない。
 さて、コダーイである。1882年に生まれ、1967年に没したこのハンガリー人は、リストやバルトークと並んで同国を代表する大作曲家である。民謡に真剣に取り組んだ作曲家として知られ、バルトークと共に民謡集の出版も手がけた。作曲については、ブダペスト音楽院でブラームスの信奉者であったハンス・ケスラーから学んだということもあり、彼の音楽は、東欧または東洋風のリズム・メロディーに、西洋ロマン派のハーモニーが伴った作風が特徴と言ったのでは端的に過ぎようか。
ミサ・ブレヴィスは、1943年に作曲された。他の多くの近代作曲家が、不協和音や変拍子を多用したミサ曲を書いたのに比べ、この作品は、メロディーこそ特異な民謡調であるが、ハーモニーは協和音進行が主体である。第2次世界大戦の最中に作曲され、通常のミサ曲が、Agnus Dei(神の小羊)で終わるところを、Ite, missa est(ミサは終わりました)を付け加え、最後にPacem, Amen.(平和を、アーメン)で締め括っているところに、平和を願うコダーイの気持ちが強く表れているように感じられる。

(歌い手から一言)
通常の合唱曲は、最高音から最低音までの音域が3オクターブ程度であるが、このミサのそれは、俗に言うソプラノの「High C」からバスの「Low C#」まで、およそ4オクターブもある。しかも各パートとも、低音から高音まで2オクターブ近く、またはそれ以上歌わなくてはならない。しかし、コンディションさえ良ければ、歌っていて楽しい曲である。どのパートにも特異な民謡調メロディーのパートソロがあるし、神秘的な部分、時々現れる無調のごときハーモニー進行、4パート
揃っての力強いユニゾン、そして躍動感溢れるリズム・メロディーなど、「おいしいところ」満載の、素晴らしい曲である。
観客の方々には、短いインターバルで劇的に音楽が変化していくさまを楽しんでいただければと思う。
本日はソロパートも団員が歌うが、プログラムの最後になおソロ(ソプラノHighCもあり!)を歌えるとは、声の強い人間が多い合唱団だとつくづく感心する次第である。

【酒井 洋】