第9回定期演奏会


満3歳の誕生日


 96年7月18日、ここ恵比寿麦酒記念館の銅釜広場で産声を上げたGPC・・。
 ようやく(あるいは人によっては早くも)3回目の誕生日を迎えたことになります。
 もっともその間、年に3回の定期演奏会、+クリスマスコンサートとかなりの発表会回数を重ねてきました。世に言う「ドッグ・イヤー」(コンピュータ業界の世代交代の速さを人間の7倍の速さで進む犬の犬生?に喩えて言います)ほどではないにしても、通常の合唱団の数倍のスピードでアウトプットしてきた気がします。
 一方で、本年4月のカザルスホール(お茶の水)での演奏会に続き、6月には東京都合唱祭(五反田)への初参加など、活動パターンを少し変化させる試みも行ってきました。今後も数多くの古今の合唱名曲を皆様に楽しんでいただけるよう、引き続きGPCは頑張ります。

ガーデン プレイス クワイヤ団長 村上 弘

Johann Bach - Unser Leben ist ein Schatten


 過ぎ越しを祝うため、そして自らを生贄として捧げるためエルサレムに入場するイエスを、大衆は力ある王を迎えるごとく棕櫚の枝を振りホザナと称えながら迎えた。カトリック教会では、今でもこの逸話を記念して復活祭の1週間前に行われる枝の主日に棕櫚の枝が配られる。この枝は次の年に回収され焼かれて灰になる。復活祭のちょうど40日前の水曜日(灰の水曜日)、この灰はミサの参列者一人一人の額に塗られ、司祭がこう唱える。
 「あなたは塵(ちり)であり、塵に帰っていくのです。回心して福音を信じなさい」。  力あるものの象徴である棕櫚と無力の象徴である灰、神と人間の対比にもつながるこの思想は、この曲で語られる無力感にも色濃く顕れている。
 無力感の表明はしばしば日本人のキリスト教理解に直接的イメージを残すが、この世から消え去ったものも信じていれば必ず復活するという強い信念を忘れて全体の意図するところは伝わらない。
 大バッハの祖父にあたるヨハン・バッハが作曲したと言われるこの曲でも、3人のソロによって一人称単数で語られる希望の表明が、曲全体の持つ意味を強める。この曲が語るのは、三十年戦争の戦火にあえぐ大衆の失望ではなく、回心によって得られる希望の表明であると考えるのは私だけであろうか。老いも若きも、金持ちも貧乏人も、神の前では所詮等しく無力なものなのだから。

(Akira Takauchi)

Frank Martin - Messe


 ねぇ。今度ね、GPCの演奏会でとうとうあの曲やることになったんだよ。
 フランク・マルタン、「二重合唱のためのミサ」。
 前に僕が、ものすごくカッコイイ曲があるって騒いでたでしょ。あれ。
 最初はみんなマルタンって作曲家知らなくてね、他にもいろいろ候補上がったんだけど、結局成り行きで決まってしまった。
 二重合唱で練習はやりにくいし、変拍子はあるし、五拍子のリズムなんかとても難しくて相当苦労したけれど、やっぱりこの曲オイシイよ。
 今はみんなハマっている。
 この人、スイスの人なんだよね。
 1890年に牧師の息子としてジュネーブに生まれ、学校で音楽教育を学んだわけではないのに、いつのまにかパリで音楽の先生になった、とのこと。才能のある人はさすがです。
 で、教えていたのはリズム理論。五拍子は難しい。
 根はフランス系美意識の人らしいけど、育った文化的・音楽的環境がドイツ系だったので、若い頃の作品には二つの文化が葛藤している痕跡が見られるそうです。
 「二重合唱のためのミサ」は32歳の作品だからちょうどその頃のもの。
 二つの文化どころか、地中海やら東洋やら、アフリカっぽいところもあるな。まあ、とにかく世界中の音楽のごった煮みたい。
 さすがスイス人、インターナショナルだよね。
 歌いこなせるかな。
 リズムにしてもハーモニーにしても、”スピード感”が出せればいいと思うんだ。
 あのね。歌って呼吸だよね。で、呼吸は運動神経系と自律神経系の唯一の接点だというけれど、この曲は絶対”運動神経系寄り”だと思う。
 確かにマルタンのミサの心地よさは、スポーツの爽快感に似ているよ。
 ついでに言うと、スポーツした後のビールは最高だよね。美味いよ。
 だから、君も久しぶりに聞きにおいでよ。
 みんなも会いたがっているからさ。

(Shigeru Koshizawa)

British Folk Songs <イギリス民謡>


 ここで言う「イギリス」とは、正式に大ブリテン島のイングランド・ウェールズ・スコットランドおよびアイルランド島の北アイルランドから成り、地域によって言葉も音楽も著しく異なっている。本日はそれぞれの地方から7曲の民謡を選択しているのだが、ひとつの共通点は、7曲ともすべて恋愛に関係する歌であるということだ。

 1曲目のMy sweetheart's like Venusは、ウェールズの歌で、元々は英語ではなく、ウェールズ語で書かれたものである。ここでは、ウェールズ民謡でよく使われる3拍子のリズムに乗せて、片思いの報われない愛を切なく歌っている。イングランドのEarly one morningは逆に不誠実な恋人に歌う娘の歌で、19世紀前半に労働者の間で人気のあった曲である。1曲目のウェールズ民謡と違って、この曲はイングランド民謡の特徴のひとつである、豪気で健康的な性質を持っている。Loch Lomondは不成功に終わった謀反でイングランドに収監されたスコットランド兵が、愛する恋人と故郷の美しい湖を懐かしむ歌で、本人は死刑にされ、魂となってLow road(死)で故郷へ帰るのに対し、友人の兵士は生き残り、High road(生)で帰ると言う深い意味を持つ曲である。The Keel Rowは、イングランド北東のタイン川で石炭を運ぶ舟を漕ぐジョニーと言う男に憧れる女の歌である。男声がKeel Row(船を漕げ)という歌詞を繰り返して歌い、船乗りの威勢良く漕ぐ様子を表している。これに対して、O Waly Waly(イングランド南西のサマセット地方の民謡)は愛の空しさを語っている曲である。ジョン・ラッターの編曲はこの歌をいっそう美しくしている。Scarborough Fairは、ヨークシャー地方の海浜リゾート地、スカーバラに伝わるイングランド民謡であり、サイモン&ガーファンクルの演奏で世界中に知れ渡った。夢が叶わないことを悟った娘が、逆説的な思いを募らせて歌う切ない幻想の歌である。最後のDashing away with the smoothing ironでは、大好きな彼女のすること全てが彼には素敵に見え、どんどん膨らんで抑えきれない気持ちが一気に歌い上げられる。

(Julian Rippon)